三門から久遠寺までの石畳+階段(菩提梯・ぼだいてい)
修行走 菩提梯ClimbRunは、スタートが三門、その先の石畳を走ったのち、
菩提梯(ぼだいてい)という、287段の階段を駆け登ります。
総距離は350m、獲得標高は100mです。
身延山には日蓮宗の総本山久遠寺がございます。
江戸時代には身延の町は全国の日蓮宗のご信者さんが参拝されて、
身延参りという文化が定着しておりました。
この身延参りが盛んに行われていた頃につくられたのが、菩提梯(ぼだいてい)という、
三門から久遠寺へ続く大きな階段です。
身延山久遠寺にお参りするために使われた歴史のある階段です。
一段一段の階段の高さが非常高く、現代の建築では通常見受けられない高さとなっており、
段数を見ると287段ですが、通常の階段とはまったく違うものとなっています。
三門をくぐり、石畳を歩くと菩提梯が見えてきますが、
まるで大きな壁があるように見えるほど急な階段です。
三門とは
一般的には寺院の門を山門と呼ぶことが多いが、本来は身延山久遠寺三門のように上部に釈迦如来像と16羅漢を祀り、左右に仁王像を安置する。三門の三は三解脱(空・無想・無願)を意味し、この門をくぐることにより参拝者の邪念や我欲を払うと言われる。つまりは門より内側に悪を入り込ませず、完全な聖地を意味する。
菩提梯(ぼだいてい)とは
菩提とは悟り、梯はかけはしの意味。三門をくぐり身を清め、いよいよその人が悟りの世界へと向かう階段の意味。
また、菩提梯には親孝行の物語もある。
昔、新潟佐渡に仁蔵(にぞう)という青年が、信心深い母と暮らしていた。仁蔵は母のかねてよりの願いである身延詣でに母を連れて出かけるのだが、当時の身延山には階段がなく、本堂までの急坂を母を背負って登った。その際は母息子の大変さ、他の参詣者を思って「ここに階段があればどれほど便利なことか」とつぶやくのだが、この時の言葉が仁蔵にとって忘れられない言葉となる。
佐渡に戻り、母が亡くなって後、仁蔵は母の念願をかなえるため必死に働き蓄えたお金をもって再び身延へ向かうのだが、その途中、富士川の宿場鰍沢で飢饉に苦しむ村人に出会い、そのお金をあげてしまい、その年の身延詣ではあきらめることとなった。
再び佐渡の戻った仁蔵は再びお金を蓄えるべく半農半漁の生活を送るのだが、ある日海上から佐渡を眺めると、山の中腹に光るものを見つける。そこは佐渡金山であった。
金山発見の褒章を得た仁蔵はそのお金をもって身延に向かう。途中鰍沢では仁蔵の階段建設の話を知った、以前恩を受けた村人が手伝いの名乗りを上げ、皆で身延へやってきて現在の菩提梯を建設した。